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好きで書いてるけど好きで書いてるわけじゃない

公の場、例えばついったーとか、それこそこのブログとか、でネガティブなことを書かない方がいい、みたいなのは確かにそうで、そりゃそうだって話なのだけど。

でもどうしても出てしまう、いや、出るのはいいとしてわざわざつぶやかなくてもいいじゃん、って話なのかもしれないけどね、それこそチラ裏(インターネット老人会)なのかもしれないけど、やっぱりもうなんというか、そんなことはわかってるが、わかっているがわかりたくない!!!って感じなんだよね。

そういう意味ではもう限界なのだろうなぁと思った。

ので

自分にできる範囲でできることを、という程度で、無理しない、というか必要最低限以下のことというか、必要最低限のハードルを下げるように心がけるようにしました。

そもそもやはりね、人と人なので、敬意は持って然るべきですよ。と俺は思う。あくまで俺はそう思う、ってだけだけど、だからこそ俺がそう思うのもそう動くのにも負い目も何も感じる必要はないよね。
なんか言われたらすぐにやらなきゃいけないような気持ちになっていたけど、それがそもそも間違いで、それのせいでこう疲弊しているわけだし。いや、やっぱそこも人と人なんだろうね、仕方ないな、やるかって思うのと、いやぜってぇやんねぇよってなるのと、やっぱそういう違いはあるよね。反面教師にしようと思ったよ。

無事祖母の葬儀・告別式に家族で行けて、最後のお別れと、久しぶりに親族とも会話ができたのと、もっと顔見せておけばよかったな、もっと写真とか送っておけばよかったな、なんて後悔もあったけど、でもなんか、駆けつけて顔見たら、ばあちゃんが微笑んでくれたような気がしてね。もっと駆けつけたり、そういうことを大事にすることを改めてばあちゃんが教えてくれたというか、こういう働き方をしていてはいけないぞ、って言ってくれたような気がしました。
火葬前に最後に棺の顔の窓を締めるのは喪主だけど、俺が今そうなったら妻が喪主だな、ってことは妻がやるのか、妻泣くな、とかそういうことも考えたりしてね、そういうこともなんか改めて、気付かせてくれる機会をくれたんだな、って。そう思いました。

疲弊

疲弊を誤魔化すためにchatGPTさんに翻訳してもらおうと思ったら「そんな言葉使いするもんじゃないぜ」ってやんわりと嗜められてしまって、ああ、そうか、AIは賢いな、俺はAIよりも賢くないことが露呈してしまったな、と思う。

なんかずっと炎上している感じがするのだけど、それは俺が炎上に飛び込んでるわけでもなんでもなくって、なぜか炎上するとこっちにくるっていうか、火消しをする羽目になるってのももちろんあるんだけど、今最も燃えているやつはもうなんか、何年越しで燃えてる感じになっていてもう正直どうしていいやらって感じで、これは前書いたかもだけど俺が防波堤になって、なんて思ってやってるんだけど

もうぶっちゃけしらねー!!!ってしてもいいんじゃない、って感じになった。というかそろそろポキっと折れそうっていうか

折れた。

便りのないのはいい便りとはよく言ったもんで、普段連絡がない親父から連絡があって、しかもおり悪く子供達を風呂に入れていて出れなかったもんだから急ぎ掛け直したら

祖母が亡くなった

こう、疫病やらなにやら、あとはこういう炎上案件で疲弊していたっていうか、この炎上案件の顧客がまた、土日も祝日も盆暮正月も昼も夜も無いような働き方を求めてきやがる感じで(金曜定時後に月曜まで、とか平気で言うし、返答しないと鬼のような電話がくるし、なんだったら家族旅行なのに夜ホテルで俺だけ仕事したりする羽目になっていたし)、もうほんと、心が疲弊してそれに対してできませんっていう気力も湧かない感じにされているし、でも、それでも会社の他の人にはさせられないし、一応立場上管理職になっているみたいなので、そんなFワードな人の対応を任せるなんてちょっと俺にはできなくて(そういうのを丸投げして高い給料もらっている人はいるけど。でも給与の問題ではなく俺のポリシーの話なのでまぁ、それはいいや)、せっせこせっっせこ働いて(今日も今日とて)いるんだけど。

そのおかげで、子供達の写真を送りたいなー、とか、ちょっと遠方だからそうやすやすといけないけど、疫病があるから面会はできなくてもガラス越しに顔見せぐらいはできるかなー、とか思っていて、しばらく墓参りも行けてないし、どこかでふらっといきたいなー、いかないとなー、とずっと思ってて、でも空きがあれば予定を詰められるし、疲弊しているから本当に空きができたらもう気絶するように寝ているし、行けず行けず仕舞いでいたら、結局間に合わなかった。

なんだこれ。

そこまでして、なんかそこまでして結局尻拭いをさせられている感じが、なんかもう、ほんとなんだこれって気持ちになって

ポキっと折れた。それでもこうやってちゃんと仕事する分、偉いなぁと自分で自分を褒めているんだけど、でもこうやって夜遅くまでやってるのにあれやこれや言われるわけですよ。ほんとイライラする。で、イライラする、の後をそのまま思ったまま書いて翻訳してもらおうとしたらchatGPTさんに怒られたわけですね(最初に戻る)

まぁ、それですぐにどうこう、って話でもないし、結局これはすぐには逃げられないから、上手く付き合っていくしかないのは変わりないのだけど、それでももうちょい無理なもんは無理だよ、って言うようにしないといけないな、と妻にも言われました。

「自分でやると思うから仕方ないか、やるか、って思うわけで、社内の他の人にお願いするとしたらこの内容どうなの、って考えないとだし、そもそもそんなワーカーみたいな仕事する立場じゃなくなってきてるし好きでやるのはいいけど、それが仕事だと思うんじゃなくて、無理なものは無理だって折衝するのが本来の仕事なんだから、そういうことしなきゃだめだよ」って妻に言われましてね、ほんとその通りだし頭が下がります。ちゃんとね、自分を大切にしないといけないよね。もうそんな、学祭準備で徹夜してた頃とは違うのよなぁ……

というわけで、明日は仕事行って大移動。
最後の最後にばあちゃんに会いにいこう。

安寧

日々書く、というのは意外といいのかもしれない。

昨日、実はミーティング参加中にちょっと手が空いたからただただ思うままに記事を書いて投稿したのだけど、なんかいつもより気分がよかった。
いや、ちゃんと寝れて、睡眠負債がちょっと返せたからかもしれないけど、それ以外は概ねいつも通りっていうか案の定品性下劣なお方からのご連絡がきて困ってしまいますわ〜〜!!ごきげんよう〜〜〜!!って感じだったのだけど。

まぁそういう連絡もこうやってネタにしてつぶやけるぐらいには余裕があったというか、そこまでイライラしないでいれたかもしれない。
いつもだったらうわ〜〜〜!!!!ってなっているところでもはははーぐらいな感じだったし。

睡眠が大事なのは言わずもがなだけど、こうやって駄文を撒き散らかすのが私にとっては一服というか、心の清涼剤になっている、のかもしれないなぁ。

で、これローカルで誰も見ないところにただただテキストで書いているものいいんだけど、こうやってブログ更新すっぞ、って思って書くのがまたいいのかもしれない。更新できていないのちょっと気になってたし、今年はこうやって更新をしていくようにしようかなー

と、社会に出てから10数年、やっとそういう余裕がでてきたのかもしれないですね。駆け抜けて10数年。転職もしたわ配偶者が終末病棟から奇跡の復活を遂げるわ指切断しかけるわあわや荷物に潰されて死にかけるわ子育てやら後一歩で半身不随やら色んなことがあったけど、やっとこうやって記事を書く気持ちの余裕がでてきたことを素直に喜ぼう。それぞれで一個記事というか下手すると本一冊書けるわ。

春麗らかないい天気、朝から子供の集団登校の送りでテクっていい気分。今日もご安全に。

鳥じゃなくなったから

twitterを知る前はつぶやくぐらいの感覚でblog投稿をしていたけど、
twitterを知ってしまってからはガクッと投稿頻度が下がってしまった

でもなんかtwitterもきな臭い感じになってきたし、
どうせ呟くだけで誰も見てないネットという広場の片隅にある埃を増やすだけならブログでもつぶやきでも変わらんよね、ってのと、
ブログの方が後から自分の考えを見返せていいのかもしれないし、ってのでまたここで書くようにしようかな。

というかついったーって過去ログ見るの大変じゃない?
APIとか使えてたらあれだけどそれでも大変じゃない?
いや、俺がしらないだけなのかもしれないけど、ちょっとドキュメント読む気にもなれないし、大変なのよ。

でも一長一短だな、短い文字数に収めようと苦心するのも結構大事にことかもだし、でもこうやってダラダラ書くのも心の安寧のために大事だし。

まぁいいか、とりあえずこんな感じで。
今年はちゃんと更新しよー

今日は朝から集団登校のための帽子を忘れたムッスメのために
ダッシュで届けた +1114514点

いやー、小学生か……時の経つのは早いものだなぁ……

とうにゅうテクニック

祝・くそみそテクニックアニメ化記念!ということで
過去作成したブログを移行先のこちらでも再掲しようと思います。

※以下の記事はこちらで2006年書いた内容を再掲したものです
…….2006年!?え、そんな前なの……!?
時間の流れ恐ろしいわ…….

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『う~~ トウフトウフ』

今トウフを求めて全力疾走している僕はI津大学に通う
ごく一般的な男の子
強いて違うところをあげるとすれば料理に興味があるってことかナ-
名前はフラれ屋まころー

そんなわけで帰り道にあるリオンにやってきたのだ

ふと見ると売り場に一個の若い豆腐が置いてあった

ウホッ!いい男…

そう思っていると突然その男は僕の見ている前で値段を下げ始めたのだ…!

「買わないか?」

そういえばこのリオンは値下げをすることで有名だった
いい豆腐に弱い僕は誘われるままにホイホイとレジに向かっていってしまったのだ

彼-ちょっとワルっぽい大豆食品で名前を男前豆腐と名乗った

一人暮らしの食卓も居なれてるらしく台所にはいるなり
僕は素裸に向いてしまった

「よかったのかホイホイ買っちまって 
俺は湯豆腐にしたっておいしい豆腐なんだぜ」

『こんな豆腐初めてだけどいいんです…僕…男前さんみたいな大豆製品好きですから・・・』

「うれしいこと言ってくれるじゃないの
それじゃあとことん喜ばせてやるからな」

言葉通りに彼はすばらしい食品だった
僕はというと味覚に与えられる快感の波に身をふるわせてもだえていた

『うっ…!!!』

しかし その時予期せぬ出来事が…

『あ 飽きた…』

「ん?もうかい?意外に早いんだな」
『ちがう…実は生で食うんじゃなくて加工したいんです…リオンに行ったのもそのためで…』

「そうか…」

「いいこと思いついた。お前俺をすりつぶして野菜を入れろ」

『えーっ!?すりつぶすんですかァ?』

「男は度胸!何でもためしてみるものさ。きっといい気持ちだぜ」








「ほら 遠慮しないでつぶしてみろよ」





彼はそういうと素肌にまとった容器を脱ぎ捨て逞しい肌を僕の前につきだした

自分をすりつぶさせるなんてなんて人だろう…
しかし彼の白く引き締まったボディを見ているうちにそんな変態じみたことを
ためしてみたい欲望が……

『それじゃ…やります…』

『(人参が)は…はいりました……』

「あぁ…つぎはタマネギだ」

『それじゃ焼きます…』

「いいぞ 腹の中にどんどん(火が)通ってくるのがわかるよ。
 しっかり身をしめとかないとな」

『くぅっ!熱い…!』

この体験は煮物では知ることのない火傷感を僕にもたらした
あまりの激しい痛みに蓋をすると同時僕の利き腕は流し場の水の海の中で
あっけなく冷却されてしまった。

「このぶんだとそうとう油を入れすぎたみたいだな
 腹の中がアツアツだぜ」

「どうしたい?」

『あんまり美味しそうで…こんな料理作ったの初めてだから…』

「だろうな俺も初めてだよ ところで出来上がりの姿を見てくれ
 こいつをどう思う?」

『すごく…美味そうです…』

「うまそうなのはいいからさ このままじゃおさまりがつかないんだよな」

「こんどは食べる番だろ?」

「いいぞ…よく噛んで(舌が)押しつぶしてきやがる・・・!」

『で…でも…』

「なんだァ?今焼きあがったばかりなのにまた作るってのか?
 料理熱心なんだな」

『ちっちがう…!』

「なにイ?ハンバーグにしたかったァ?
 お前俺をひき肉と間違えてんじゃねぇのか!?」

『しーましェーン!!』

-とこんなわけで僕の初めての豆腐ハンバーグ体験は
 失敗に終わったのでした…

—————-追記———————
一緒に作った煮物のほうが明らかに美味そう。ってか美味い。

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いやー、若さ。あのころはいっぱいブログ書いてたんだなぁ……
なんか言えないことが増えてきて下書きばかりが増えているよ。

ほったらかしにしすぎたね

ちょっとほったらかしにしすぎたね…
前回更新はいつのことだか…

とまぁ、そんなことは置いといて。
昔は、それこそ十年ひと昔じゃないけど、
十年ぐらい前のことか、
その頃は毎日のようにブログを更新していたのだけどね。

雑記として何か思いは残すようにはしてるんだけど、
それをなんでも更新するようにはしないぐらい
変に大人になってしまっただけなのかもしれないな、なんて。

まぁ、折角あるんだしね、
140文字でつぶやいてばっかりってのも
あれなんでこちらにも駄文を載せていこうかしらね。
ずっと書いてないと文章を書く力というか、
自分の考えをまとめてアウトプットする力が
衰えていくのを如実に感じるのでね。
トレーニングの一環で感じで。

で、ですね。
今日は次女の寝かしつけしながら
ランボー(ファーストブラッド)をアマプラで見たんですよ。

前回見たのが結構前で、
正直ラストのランボー独白パートの内容を
うっすら覚えているぐらいで、
「アクション映画の皮を被った社会風刺系映画」
という印象だったのだけれど、改めて見ると、
「社会風刺系映画の皮を被ったアクション映画のように
 見せたサイコスリラー映画」だと思った。
でもやっぱり最後の独白パートを見ると
社会風刺系映画だよなぁ…と思いつつ、
あのシーンも含めて、やっぱ名作ですよこれは…
と改めて思った次第。

あの独白のシーンはとても有名で、
ちょっと前にパロでまた有名になったりもして、
改めて何か語ることもないぐらい有名なシーンなんだけど、
なんつうか、こう、昔見た時は多分高校生が大学生か、
それこそ十代後半から二十歳そこそこぐらいで、
その頃ででも引き込まれるものがあったけど、
今改めて見てもグッとくるんだけど、その強さが違うというか。

前見たときはランボーばっかり見て気が付いてなかったけど、
大佐が涙堪えてるのとかも見えてしまって、
所謂ベトナム戦争のPTSD症状だったりするんだな、
っていう見え方だけでなく、
こういうモンスターを生んでしまったのか、とか、
一般的な社会生活を送ることができなくなってしまった、
またはさせてしまった、とか、
我々が済む通常の社会がある世界では
生きていけなくなってしまった
あるいはさせてしまったという悔悟の念、
的な描写が、受け手である俺が社会経験を積んだことにより
深く刺さるような感じがして、改めて名作であるな…と。

というかね、
多分前見たときは、
ほんとアクションかっけーでもランボーも被害者なのね…
ぐらいの浅い見方だったと思うのですよ。
いや全然それでもいいんだろうけど、こう、
よりメッセージを強く受ける、つまり言わんとすること、
伝えたいと思っていたこと、
を受信できるようになったのだと思うのよね。

もともと昔読んだ本とか映画とかを
読み返したり見返したりすることは結構あるのだけども、
受け手である自分の成長度合いや
今置かれている環境だったりによって
その度に新たな発見があるから面白いよね。

でも年を取るにつれて新しいものに触れるのが億劫になって、
そのまま年老いていく的な論文だかを
以前読んだことがあるから、そういう意味では
新しい作品にも触れていく必要があるなぁ…
と思ったりもするのだけれども。

本は新しいものにどんどん触れて行ってる気がするけど、
映画は最近見てなかったから、
ちょっと前見た作品を見返したりして
映画見るリハビリしてからかなぁ…。